自分を苦しめていた思い込みを捨てて楽になった簡単な方法

先日、夫の職場の後輩たちが我が家に集まることになりました。
人数は5人。夫を足すと6人の席でした。

このブログを見てくださっている方は

読者さん

えっそんな人数入るの?

と思われるでしょう。

44㎡の狭小の我が家ですし、ダイニングテーブルもありませんが、
結構なんとかなるものなんですよ。

前回は9人の席でしたし。

ちなみに今回はそんな食事会が決まった我が家でのできごとです。

目次

我が家に大人数の来客が決まった


我が家への友人の来客は専ら1人か2人が来て、ゆっくりじっくり話し込むという形が多いので、
大人数の来客には正直慣れていません。

何が慣れないかというと、一番は

『食事量』

普段2人で食事をしているので、一気に人数が増えるとどれくらい用意すれば良いかが掴みにくい。

おまけに、普段から決まった料理のローテーションをするタイプではなく、
その時々で安い食材や旬の食材を買って、適当に(良い意味で笑)調理して食べるというスタイルなので、
全く同じ料理を繰り返し作ることがほとんど無いし、これといって思いつく得意料理もありません

いつものように雰囲気で、とか目分量で作るにも、
量がいつもと違いすぎるから失敗が怖い

ここは無難に失敗がなさそうなメニューで考えたいところ。

ちなみに、食事会であり、夫から手料理を希望されている状況なので、
出来合いという選択肢はありません

以前は、こんな状況にはプレッシャーを感じて力みまくっていました
しかし現在は、プレッシャーを感じることが少なくなっています

それには、『慣れ』と、もう一つの理由があります。

知らないうちに自分を苦しめる思い込み

私も過去には、

  • 完璧な主婦・妻でいなければならない
  • 素敵な奥さんに見られるように頑張らなければいけない
  • 素敵なおもてなし料理はこうでなくては…
  • 素敵な器が…

といった、『こうでなきゃいけない』の呪縛に囚われていた時期がありました。
別に周りがそれを望んでいるわけでもないのに、
勝手にそれが相手の為だと思いこみながら
勝手にストレスを感じ、頑張ろうと力みすぎた結果、空回って失敗をすることも多々ありました。

だけど、そんな呪いも解けた今、プレッシャーを感じることは少なくなっています。

なぜか?

それは、相手の為だと思い込んでいたことが、本当は

『隠れ完璧主義である自分の思い込み』と、『自分の見栄』だと気が付いたから。

素敵な妻、完璧な奥さんを求めているのは相手ではなくて、
そう思われたいのは自分なんだ
と気が付いたからでした。

夫の反応に見え隠れする本音

話は食事会のことに戻りますが、
普段作りもしないようなものを『おもてなし料理はこうでなくちゃ!』と『思い込んで』作っても、必ずしも美味しくできるとは限らないので博打みたいなものです。

だから、やっぱり一度は作ったことがあった方が良い。

他にも冷蔵庫が小さいことも行程を考える上で重要。
当日になって『先に全部盛り付けしちゃったら冷蔵庫に入らない!』なんてなりかねない。
状況を色々加味して合理的にメニューを決めていきます。

そんな中、テレビで見て久々に食べたくなった、大好物の『冷や汁』を作ったところ
さっぱりして薬味が香って美味しく、夫にも好評だったので、さっそく夫に提案しました。

mio

ねぇねぇ、こんど、メインのご飯ものは
冷や汁を出そうと思うんだけどー!

うーん…

おや。かなり微妙な反応。

mio

さっぱり食べれるし、郷土料理だから話題性もあると思うんだけど…

でもみんな若いからなぁ…

来客が、一番若い子は私のちょうどひと回り下で、全員20代。
職業柄、みんな流行に敏感でお洒落です。

なんか、シャレた料理がいいな

そんな風に、却下されてしまいました。

前回の食事会でストウブでパエリアを作った時には
おしゃれー!と喜んでくれたので

そういうカフェに出てきそうな食事が良いのだろうなー
という想像はつきました。

だけど、ここで私から一言。

mio

でも、シャレたいのは自分でしょ?

あ、分かっちゃいました?

一言で言いたいことは伝わったようです。
実は本人も分かっている部分もあるんでしょうね。

お洒落な生活に見られたいという見栄

若いから、あまり好みではないかもしれない。
という部分に関しては相手のことを考えた発言ですが、

お洒落な料理を出したい=お洒落な生活に見られたい

というのは夫の『見栄』の部分であって、

『おもてなし』をしたい、ということであれば
喜ばれる料理=美味しい、好きな料理
を出せば良いはず。

だけど、計画が決まった当初から、

mio

今度何作ったらいいかねぇ

なんて相談しても、やけにおしゃれさにこだわっていました。

生活に加え、おしゃれな料理を作る奥さんがいるという見栄もプラスされているようで、

作る私が自分の呪縛から解き放たれたのに、
夫が期待して呪い(プレッシャー)をかけてくるという事態が発生 笑。

かつての私の逆転バージョンですね。新しいな。やめてくれよ

見栄の存在に気が付くと楽になる

私も夫も美術館やカフェが好きなので結構頻繁に訪れます。

でも例えばそういう場所に本当はあまり興味が無いのに、SNSに載せてアピールする為だけに行くようであれば、
それは見栄になるんだと思います。

本当はあまり興味がないのに音楽通っぽいCDを並べておくとか昔のあるあるじゃない?

稼いでいると思われたくて
ブランド物で身を固めたり
身の丈に合わない高級車に乗ったり

いろんな形で見栄は生活の中に存在します

生活でも片付けでも何でも同じで、

本当に必要なことなのか?それとも見栄なのか?

ということを見極めると、それまで
『こうでなきゃ』と思っていた思い込みが外れて

『~べき』『~ねば』が減るので、

精神的にぐんと楽になります。

おもてなしの料理が、こんな簡単じゃいけない?
いいじゃないですか。

行程が楽?
失敗がなくていいね!ですよ。

もちろん、料理好きで、
腕をふるって美味しい料理を食べてもらおう!
と、とても手の込んだ料理を作るのなら素晴らしいことですよね。

好きで、好意でやっているわけですから何の問題もない。

だけど『手の込んだ料理を作らなければいけない』の影に
『ちゃんと料理が作れる人だと思われたい』見栄が隠れていてプレッシャーになっているのであれば、
それは余分なストレスかも?

少なくとも私は、よそのお家で出してもらう料理に行程の難しさを望んだことはありません。

  • これは好きだから持っている?それとも見栄で持ちたいだけ?
  • 本当にしなければいけないこと?見栄を張ってやっているだけ?
  • こんな妻、母でなくてはいけない?それは相手が望んでいること?自分がそう思われたいだけ?

プレッシャーやストレスを感じることがあったら自問自答すると楽になるかもしれませんよ。

冷や汁、大好評でした

先に作って冷蔵庫に保存しておけることから、直前に全部バタバタ作り出すより楽だろう、と
結局冷や汁をメニューとして採用しました。

無印でも冷や汁の素が売れてますしね、
私も20代半ばで宮崎を訪れた時から冷や汁が大好きなので、きっと好きな子もいるだろう、と。

当日は、福岡出身の子がいて郷土料理として話題性があったり、
知ってるけど食べたことが無くて興味があった!という子がいたり。
静岡ではなかなか珍しい料理なので、ワイワイ盛り上がっていました。

終わってから夫からも

冷や汁大好評だったよ!

と報告が!

ちなみに、夫を立てたい部分も一応あるので、夫の『シャレたい』もちゃんと一部採用して、私なりにシャレた前菜を出しました笑

『見栄』の呪縛、外してみてくださいね。
すっごく楽になりますよ〜!

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